東南アジアの仏教国を旅行していると、お寺の前で小鳥を売っていることがあります。
何のためかというと、小鳥を買って、それを逃してやることにより徳を積む、つまりは仏さんへのゴマすり、免罪符です。
極楽浄土に行きたいとかそんな欲得ではなくて、大抵のひとはなにか良いことをしたいという気持ちを持っていますよね。
今の若者たち、かってのバブルのときなんかと比べたら貧しくなっているかもしれませんが、そういう利他心を豊かに持っている人が増えているような気がします。
良いことしたと思えば、気持ちが豊かになり、幸せ感を味わえるのですが、そうはいっても、これって結構難しい。面と向かって「善行」をすると、偽善くささ、押し付けのいやらしさ、恥ずかしさがつきまとうし、お金寄付していたらキリがない、こっちだってそういつもいい顔ばかりしてはいられない。
ちょうどピッタリのマッチングアプリがありました。
アプリ開いて、①モノをあげる、②お手伝いをする、③心を癒やす ④いじめられてやる、などの選択肢がある(お金の項目はなかった)ので、②手伝いをするを選択。するとサービスの種類、場所とか、所要時間、時間帯とかが出てきたので、現在地から500メートル以内、10分、いつでも、を選びました。
すごいですね、5分もしたら、足の悪い人から知人のところに紙包を届けてほしいと言ってきました。簡単、簡単、これでお役に立てるならとご自宅に伺いました。
かなりのお年寄りのようで、足腰どころか喋り方も少しおかしい、ああ、それは大変だ、良いことできたなと思い、紙包みを受け取って指定された駅前に向かいました。
で、ここで、あれ、もしやと思い、ちょっと悪いけど紙包みを少し開けて中を覗いたらなんと札束。
警察に電話しましたよ。あやうく受け子にさせられるところだった。
未然に防止できたので予想外の善行をできたのですが、いやぁ、よいことするのも危険がいっぱい。アプリの会社も反省して会員制を導入することにしたそうです。