お盆です。
故人やご先祖様の霊を家に迎えて、供養する行事のことで、ご先祖様の霊があの世からこの世に一時帰宅すると言われています。
田舎の田んぼ、特に段々畑なんかを見ると、昔から膨大な人手をかけて、今日の田んぼの姿があることが実感されます。ご先祖様あっての自分たちがあると心から思えるでしょう。代々の商店なんかもそうかもしれません。
一方、サラリーマンなんかしていると、せいぜい、教育をほどこしてくれた親に感謝する程度で、遠い顔もしらないご先祖様なんて、何の感慨もわかないかもしれません。でも、そうは言っても自分を生み育ててくれた亡き両親、あるいは順番間違えて先にあの世にいかれたご親族、これらへの思いを馳せる時間をもつのは有意義な行事ですね。
「口寄せ」いうものがあります。有名なところでは恐山。そのほか東北地方や奄美に残る風習のようですが、亡くなった人の霊を自分に乗り移らせ、その言葉を語る術で、それを執り行う人が「いたこ」です。
私、青森や岩手には何回も行く機会があったし恐山にも2回行きましたが、残念ながら、口寄せを見た経験はありません。そもそも観光でおこなうものではありませんし。でも聞くところによると、第三者が知り得ようはずもない発言がなされたりして、本当に故人がよみがえってきたような、科学ではときあかせない不思議な事象がおこるようです。
もともと、東北地方で盲目になったひとたちは、男性なら按摩や三味線弾き、女性はイタコになって、口寄せをしたりお神事を行い生業をたてていたそうで、彼らの救済策であると同時に地域のカウンセラーのような存在であったようです。
地域の中でいろいろな人の話をしてきたので、故人の情報に通じていたの納得がいきますが、そうやっているうちに特殊な霊感を得て(あるいは類推の術?)、あったことのない人、尻得ようのないはずの事実まで、語れるようになったのでしょう。
ですから、いたこは誰でも経験を積んだらなれるというものでもなく、特殊な才能が必要、それに忙しい情報社会の現代、仮に潜在的に才能があっても他の分野で成功したらその才能に目覚めることもなく埋もれてしまう。明治時代数百人いたいたこも、現在では数名しかおらず、しかも後継者が出るかでないかということのようです。お金にもならないししかたないですね。
そして、それに代わってできたのが、電子いたこ。
あなた、スマホに向かっていろいろ検索したり、時にはアシスタントにかたりかけたりしているでしょう。スケジュールを管理、メールをやりとりして写真を撮っているでしょう。スマホは我々のすべてを、家族以上に知っています。あなたの全てがスマホにはいっています。これであなたは永遠の命をもちました。(電池がもつ限り?)
ですから、いたこやるのは朝飯前。声紋だって再現できます。
【感想その1】
お盆の中日、亡くなった家族と再会することができました。
終わってみると、ふっと寂しさが蘇ってきましたが、幸せな時間を過ごせた余韻がのこり、よかったです。
【感想その2】
みんながやっているから、うちもやりました。
設えてあるスクリーンにむかって、いくらかお話をしました。
もういいだろうと、スイッチを切ったのですが、消せません。他の画面をみたりゲームを始めても、つぎつぎとポップアップしてきます。お父さん、ごめんよ、親不孝で悪かった、ちゃんと供養するから、じょうぶつしてくれよ、頼むから。
【感想その3】
まずいことになりました。
黒い背広を着た人が3人ほどやってきて、なくなったおじいさんに会わせろって言うんです。
そう、税務署の人たち、いまじゃ、そこまでするんですね。