嘘八百3千丈、またバカなこと考えた(別宅)

ヒマにあかせてバカなことばかり考えています。思いついたら何でも書き込む、内容の真偽は保証出来ません。(2023年3月現在試行中に付き申し訳ないですが、「amebaブログ」と重複投稿中です。)

東洋のシンドラー、あなたも勇気を出そう

一昨日、リトアニア十字架の丘に纏わる話をしました。

でも、そこは少なくとも日本人にとってはマイナーな観光地の話で、リトアニアというと、杉原千畝(ちうね)氏の「命のビザ」の実話を思い浮かべる方も多いでしょう。

 

こういうお話です。

第二次世界大戦の1939年、リトアニアカウナスという街で日本領事館領事代理として勤務しておられたのですが、ナチスの迫害から逃げてきたユダヤ人たちが第三国へ避難するためのビザ発給を求め領事館につめかけてきたのですが、避難先の国の入国許可があること、そこまでの旅費をもっていること、などの定められた発給条件に目をつぶり、リトアニア人、旧ポーランド人に2132枚のビザを発給しています。このうちユダヤ系は1500枚で、家族単位なので、少なくとも6000人をナチスから逃げさせたといわれています。

 

シンドラーというチェコ生まれのドイツ人が、ポーランドの軍需工場にユダヤ人を雇入れ身柄を保護することで、1200人の命をすくった事実があり、「シンドラーのリスト」という映画ななり評判を読んでいます。杉原千畝は、これになぞらえて「東洋のシンドラー」と呼ばれ、ユダヤ人社会では今でも語り継がれているそうです。

 

日本人として誇りに思える美談はこれだけではありません。

 

樋口季一郎陸軍中将の話です。

杉原千畝氏の1年前、1938年、ナチスの迫害から逃れ満州国境にたどりつき、上海へのトランジットを求めたユダヤ人たちに対し、満州国外交部はドイツ、日本に忖度し、通過を拒んでいました。それを知った、満州国ハルビン特務機関長だった樋口中将は満州国に働きかけ、ビザを発給させるとともに輸送列車を手配し、2万人の命を救ったといわれています。

 

樋口中将については、日本の中ではむしろ、ソ連の日本侵攻を防いだ英雄としてのほうが有名かもしれません。終戦間際の8月11日、日ソ中立条約を破棄し南樺太に侵攻したソ連軍は、日本が降伏した15日をすぎても停戦に応じず、18日には北千島占守島に上陸を開始、これに対して大本営からの停戦命令にもかかわらず、現場の判断としてこれを迎え撃ち、ソ連の北海道侵攻を阻止しています。この活躍なかりせば、米ソ両国によって分断占領される分断国家になっていた可能性が高いといわれています。

 

ともに共通して言えることは、「規則」よりも「人道」「正義」を優先させたという点で、細かい規則に汲々とし、上や世間の顔色ばかり窺っている、木っ端役人根性、サラリーマン根性でない、侍魂をもっている先輩たちがいたということです。

 

樋口中将のビザの件では、上司だった東條英機参謀長も、黙認したそうで、杉原龍神代理の件も、もしかしたら、本国も建前上駄目といいながら目をつぶっていたのかもしれません。エリート階層だけでの話かもしれませんが、あの暗い時代にも、そういう空気があったのは救いです。

 

私も思いました。今の時代、「コンプライアンス遵守」「ポリティカル・コレクトネス重視」とかいって、表面だけ真面目に、しかし心の通っていない、こういう閉塞感のある世の中もういやだ。ひとりひとりが勇気を出して、心の通い合う、よい社会をつくらねば。

 

 

友人も同じ考え、そうか、だいそれたことはできないけれど、身近なところで実践あるのみ、意気投合しました。

 

ー あのな、県道をあるいていたら、下り坂の下の道路脇で警察官が何人か集まっていたんだよな。何だと思う?

ー ネズミ捕り? 今どき、移動式のオービスになったのかと思ってたけど、まだやってるんだ。

ー そう、ネズミ捕りしてたんだ。下り坂でやるなんて、きたねーよな。だから通る車に知らせてやったんだ。2万人は助けられなかったけど、何人か助かったと思うよ。

ー 大丈夫? それって公務執行妨害で捕まるよ。

ー 取り締まりやってますよ、って知らせるんじゃなくて、「怖い下り坂、スピードの出し過ぎに注意」と書いた看板をかざすだけだ。違法でもなんでもない、交通安全に協力、表彰モンだよ。