嘘八百3千丈、またバカなこと考えた(別宅)

ヒマにあかせてバカなことばかり考えています。思いついたら何でも書き込む、内容の真偽は保証出来ません。(2023年3月現在試行中に付き申し訳ないですが、「amebaブログ」と重複投稿中です。)

アフリカ民話から学びました

東南アジアや南ヨーロッパの観光地なんかにいくと、物売りが寄ってきて、いい加減な物をぼったくり価格で売りつけてきますよね。アジア旅行の本なんか読んでいても、現地の人々の時間のルーズさテキトウさ、市場での値段交渉のいい加減さなんかを面白おかしく伝えてきます。

私も、こういうのに対して「約束を守らない」「契約という観念がない」、そういう遅れた社会だから仕方ないと断じて、それなりに対応してきました。

 

そうした中で、面白い本を知りこの考えが変わりました。

小川さやかさんという文化人類学者がタンザニアの路上商人たちの世界に飛び込んで、みずから商取引をしながらその世界を描いた本及びその続編とも言うべき新書です。(インタビュー記事を見つけたのでリンク貼ります

卸業者が路上商人たちに古着を卸すのですが、零細商人ばかりなので掛け売り。騙したり騙されたり、知ってて騙されることもある、時には採算割れで売って、その損を他の人から取り戻す。貸した金を踏み倒した相手とたまたま出くわしても、取り立てたりせず、他の人からだまし取って元をとる、そういった一種の相互支援システム、異次元の資本主義経済を描いています。

 

あまり読解力、記憶力がないので、表面的な理解ですが、そうか、アジアの物売りたちや時間にルーズな人たちもこれと似た原理で動いているんだ、と目からウロコ。

世の中どうなるかわからないのだから、本来、人は持ちつ持たれつ、ないものはない。契約なんてものを結ぶ我々の頭がおかしいのではないか。

伝え聞くアメリカ社会のように、ギチギチの契約書を作り上げて何かと弁護士が出っ張ってくる社会が変なのではないだろうか。

こういうのは、契約を結べば、約束事通りに物事がすすむ、理屈通りに世の中が動く(はずだ)というのが大前提。でもこれって人間の傲慢。

 

相手が自然だと考えたら、約束なんかない。頭使えば大体の予測はつくけど、雨がふるかもしれないし、突然地震や噴火がおこることもある。自分の中でも突然脳血管が詰まったり、階段から滑り落ちて死ぬかもしれない。本来世の中は不条理、なるようになるもの。

 

さやかさんのインタビューの中で、子供相手のおとぎ話が勧善懲悪になっていないという話題がありました。面白そうなので調べたら、アフリカの民話が載っているサイトをみつけました。例えばこんな話。

 

(むかしむかし、あるところに)、ミザという貧しい女がおった。
そのときミザは妊娠していて、普段よりうんと空腹だったが、家が貧乏なので、いつも我慢していた。貧しいミザの家では、炭の焚き付けに燃やす物もないので、料理する時にはいつも隣の家に火をもらいに行っていた。

その日も、ミザはいつものように、大きなおなかを抱えて、隣の家に火をもらいに行った。隣の奥さんはちょうど昼飯の支度をしており、肉のたっぷり入ったうまそうなシチューが炭の上でぐつぐつと煮えていて、台所中にいい匂いが漂っていた。
「あの、きょうも火を分けてください」
「ああ、いいよ、ちょうど炭がついているから持っていきな」
隣の奥さんは快くミザに火を分けてやった。
「ありがとうございます」

ミザは火をもらって家に帰ると、わざとその火を水で消し、もう一度隣の家に行った。隣の家ではさっきのシチューが、もっとうまそうになって炭の上で煮えていた。
「あの、火つけに失敗して、分けていただいた炭まで消えてしまったので、もう一度火を分けてください」
「ああ、いいよ。まだ炭がついているから、もって行きな」
今度も隣の奥さんは快く、ミザに火を分けてやった。

ミザは火をもらって帰ると、今度もわざとその火を消して、大きなおなかを抱えて、隣の家に行った。隣の家では、さっきのシチューがすっかり出来上がって、家族全員でうまそうにご飯を食べていた。
「あの、火付けに失敗して、分けていただいた炭まで消えてしまったので、もう一度火を分けてください」
「ああ、いいよ。わたしはもう火を使わないから、いくらでも持って行きな」

ミザはそのまま家に帰ったが、歩きすぎと、空腹で目が回り、そのまま倒れると、流産して死んでしまった。ミザの家には、火をもらったって、何にも料理するものなんかなかったのさ。
妊婦はとかく腹が減るもの、腹の大きな女に食べ物を見せたら、ちょっぴりでもいいから、分けてやれ。

引用したのは、Bakaraさんというアフリカ製品輸入元のサイトですが、リンクの利用が不安な方は、「アフリカの民話」「Bakara」で検索すればでてくると思います。

一部だけみて語るのは差し控えるべきなんでしょうけれど、正義が勝ったりハッピーエンドになる話は少なくて、物悲しいお話やブラックな話など厳しい話が多く、不条理の世界です。

 

日本人は平和ボケといわれますが、先進国の住民はみんな、条理ボケなのかもしれません。