初詣は近所の神社です。
有名な社寺もいいですが、混雑するし、第一有名だから良いとは限らない、地域の絆、地元の宝を大事にしたいものです。
神社だけでは義理が悪いので、お寺さんにも行ってきました。近所のお寺も飾り立て、初詣の人が参拝していました。
神社の場合、拝む対象は御神体と称するもの。三宝もあれば、大きな岩や樹だったり、山全体だったり、あるいは非公開なのでなにやら不明な物体だったり。天神さんのように人間だったりもします。馬なんかを拝むこともありますが。
これに対してお寺の場合、大抵は仏像ですね。仏像も釈迦如来はじめ阿弥陀如来や薬師如来のように如来だったり、観音様だったり、地蔵菩薩だったり、時には弘法様のようにお坊さんだったり、ヒトの形をしたものを拝みます。
そう言えばイスラム教は偶像崇拝を厳禁、ひところはテレビも禁止だったという話を聞きますが、ユダヤ教、あるいはキリスト教も偶像崇拝は禁止、ですけど教会なんかに行くと実際には十字架やキリスト像、マリアさん、聖人なんかを拝んでいるみたいに見えます。
やはり、我々庶民は高邁な哲学、抽象的な概念より、なにか具体的な目に見える拝む対象がないと納得できないんでしょうね。
私といえば、どんな偉い人でも人を拝むなんての嫌いですが、お寺なんかでみんなが人の形をした金属や木材なんかを拝んでいると、お付き合いして拝んだりします。バテレンや耶蘇教の十字架なんかでもそうします。みんなが拝むその心は大事ですし。お日様が上がってくると、ヤツは単なる水素やヘリウムの塊に過ぎないんだとは知っていながらもつい手を合わせてしまいます。
そう言えば、今まで大事に大事にしてきたお札、熱心に拝んできましたが、最近ではカードの形になってなにか有り難みがなくなり、ネットで見る預金残高を拝むしかなくなりました。